院長のひとりごと
sha-la-la-la
以前はまばらでしたが 最近はアイポッド持っている人が多いですね
コンピューター部門では低調でも モバイル端末では破竹の勢いです。
僕もアイポッドは持ってます
持っていましたと言うべきなのか……
つまり携帯するのが面倒で結局 孝弥にあげちゃいました
いや、我ながら何がしたいんでしょーか…ホント
で、最近は携帯電話に音楽を入れてイヤホンマイクで聴いてます
端末が変わる度にCDからパソコンに音楽を入れ直すのも面倒だとも思いながら
しぶしぶ 昔から集めていた沢山のCDから流行りものまでを厳選して
お気に入りのウォークマンに仕上げておりました。
何気なく手に取ったアルバムの一つ一つに思い出が…
な~んて湿っぽい感情に浸ってる場合じゃないですが
中学、高校とよく聴いていたカーペンターズを手に持った所で
何となく手が止まって
思わず 「おおお~っ」 と小さく歓声
後で気付く事になりましたが この「おおお~っ」 の意味
その時には自覚はありませんでしたが
一曲ずつ よく聴いてみると やはり様々な記憶とリンクしており
思い出の一部分として その楽曲が共存してるんですな…
うわぁ、思い出の一部分なんて 言葉使うと 何だか むずかゆくなってきます。
我ながら自分が気持ち悪い
多分 らくだ接骨院の患者さんが聞いても
虫唾が走る思いなんでしょう (スミマセン)
中学くらいの時なんぞは 歌詞に込められた意味も ろくに噛みしめようともぜずに
愚かにも英語で歌うことのみが「かっこいい」などと思っていたんですが
いやぁ、今となっては ただ恥ずかしいばかりで…
だからと言って その楽曲そのものの価値が否定されるワケでは決してなく、
名曲「イェスタデイ ワンスモア」の一節
Evry sha-la-la-la Evry wo-o-wo-o
(エブリ シャラララ エブリ ウォウォウォ) なんぞは
昔のように「テキトーな歌詞だなぁ」とは思わず、
伝えたい気持ちが歌詞を乗り越えて具現化されたものにさえ思えてきます
(実際はラジオから流れる曲の一節を表すフレーズ)
カレン・カーペンター自身がどういう気持ちで歌っていたのかは分かりませんが…
僕にとってはいまだに新鮮で いい曲です
高校とかでは「ハードロック」を聴いている友人に
「自分はカーペンターズを…」 なんて恥ずかしくて言えなかったんですが
今となっては そんな下らない見栄も どこか虚しくて馬鹿馬鹿しいです
30歳過ぎてからは 何故か昔を恥ずかしく思う事が多くなりました。
年配の人からすると それすら滑稽に思えるでしょうね
今回の写真は21年末(12月)の「らくだ忘年会」での写真です
うちのスタッフには時々自分でも理不尽な事を言っているなぁ
と反省していますが、みんなよくやってくれてます
今年もがんばりましょう