院長のひとりごと
だすべし
こんばんは、院長です。
最近はらくだ接骨院「あいさつ週間」です。
別にみんなで気持ちよく挨拶しようぜ…的なノリではなく
勝手に自分がはりきって挨拶やお礼の言葉を率先して言うようにしている…
ってだけの事なんですが、これが案外自分にはハマって良かったりします。
最近私の身の周りに沢山いい言葉が舞い込んで来ておりまして、
「挨拶は見返りを求めてするものではない…させて頂くもの」
…おぉ、なんてい~お言葉
これを実践すると 相手のレスポンス・反応なんて関係なくなります。
思った時に相手を労う言葉を投げる。
しなきゃ…と思った時に挨拶をする。
これが天然で実践出来ているスタッフがうちの院には何人もいますので驚きます
私は彼らから学ぶ事が思いの外多いように感じます。
ごく自然な事なのに、変な意識があるだけでスムーズに出てこなくなります。
(これって悪循環ですね…)
多分、「なんだ、あの挨拶の返し方…」とか
「こんな言葉、変に思われるかな…」とか
自分が想像していた以上に相手の反応に左右されていたんでしょうね
知らないうちに 言葉が素直に出てこない様になってしまっていた様です。
思いを言葉を出す…ってのは やっぱり気持ちいいもんで
やっぱり人間、汗や う〇こ なんかもそうですが
圧倒的に取り込むよりも 出す方が爽快な気分になります。
つまらん事を気にせず 迷ったら出す…これを癖づけていこうかと思います。
危険ですので、走らないでください~
院長です。
久しぶりの家族と行動した週末でした。
(いや、ホント なかなか時間が取れなくって…ほぼ私の身勝手で)
長男が思いっきり身体を動かして遊べるように
子供用遊園地的な施設に連れて行きました。
(ほら、大きなジャングルジムとかフワフワのビニールテントとか)
子供って「どこに行った」とか 実はあんまり関心が無くって
「誰と何をしたか」って事の方が比重が高いんですよね
試しに「何が楽しかったの?」なんて聞くと
「お父さんとカンチョーやり合った事が楽しかった…」
なんて答えが返ってきます
やっぱり子供の興味や記憶って断片的で
その場面での感情の動きと関わりが深いんだな…って思います
よくオトナは「ここに連れて行った」「ここで遊んだ」って
フレーム的な事ばかり話をして
いかにも 子供と為に私はこんだけの事をしてやったんだよ…
的な事を言ったりしますが
そんなもん 子供にとっては爪の垢程の価値も無い事なのかと思えば
自然とその中身、フレームより一つ一つのシーン、
共有した時間と感情の動きが大事なんだろうな…と考えを改め
必死に子供を追いかけて 遊戯施設の職員に怒られたり
(「危険ですので走らないでください~」はい、ごめんなさい)
滑り台を逆さに滑って 他の子供からアホに見られたり…
まぁ、とりあえず 今現在 筋肉痛で大変なんですが
とにかく自分なりのやり方で子供と関われたんじゃないか…
って自己満足のお話でした。
自由っていいなぁ
先日、サーフィン好きな患者さんと話をさせて頂きました
アメリカと日本のサーファーでのスタンスの違いに話が及び
興味深い話を訊かせていただきました
サーフィンでは暗黙のルールとして1つの波に1人
といったものがあるらしく
日本では上級者が初級者から「いい波」を奪ってしまうのに対し、
アメリカでは「お前、さっきから波に乗ってないだろ?今度はお前の番だぞ」
といった感じで促される場面もあるらしいです
サーファー人口の多さやその時の状況にもよるかとは思いますが
環境が違うだけで
そこまで一つのスポーツに対する楽しみ方のスタンスに違いがあるのかと感心させられました。
競技人口が増えて、結果的にプレッシャーが高くなったとしても
個々の楽しみを奪ってまで我を通す必要も無かろう…
といった患者さんの意見に激しく同意致しました
釣りの世界でも妙な勝ち負け意識があり私自身も似たような事は数々経験してきました。
彼等は釣った魚の数や大きさを比較しあうんです
例えば熟練の釣り人がいつも通り釣り上げた魚と
父親に連れられて初めて子供が釣った10センチにも満たない小魚…
同じ1匹でも、これらは等価値ではないでしょう
(あくまで個人的な意見としてですが…)
それに、そもそも魚に価値なんてありません
価値を与えているのは人間自身で
牛や馬が釣れた魚を見たら決して羨ましいなどとは思わないでしょう
それぞれの人に一定の価値観があるとして
それを大きさや数などといった偏った価値観を植え付けるのは
釣りの楽しみ方を狭くするものだと思います。
他人より大きな魚を釣った…という価値観も有って結構
ただそれは他人の居場所を狭くする暴力的な自意識でなく
自分のモチベーションを維持する為などに使うものの方が
はるかに自然であり、協調性があり、自分らしい楽しみ方に忠実だと思います
先日プールに行った時にも思いました
外国人の中年のお母さん…といった感じだったでしょうか?
お世辞にもスリムな体型とは言えない様な
広大なアメリカの大地を思わせるような体型で、
なお彼女は堂々としていました。
彼女は我々の固執した概念の外に居るワケで
とりわけ不幸だとは思っていない
ありのままの自分を出せるのは強い証拠で
そう思えば自分も気づかないうちに枷にはめられている事に気が付きます
特別な意味や侮蔑でもなく 自由ってのは羨ましいと本気でそう思いました
アベリアホープレイズ
院長です
今年も接骨院の玄関前にツバメが来ました。
今年の住人(住燕?)は少々騒がしくて
チュンチュン鳴いていたかと思えば
最後に「ギイィィッ」といった感じで変わった鳴き方をします。
(村上春樹の小説に出る「ねじまき鳥」ってこんな感じなのかも…)
ともあれ、早速接骨院の玄関はフンだらけ…
みなさん、くれぐれも糞害にはお気をつけください。
さて、特別意識されている方はいらっさいませんが
接骨員の軒先に花壇があります。
花壇と言う割には花と呼べるような植物は無く
アベリア・ホープレイズという常緑の植物があります
一応時期になれば小さな花は咲きますが
花というよりも、どちらかと言えば
個性的な葉の模様を楽しむのがメインの植物です
開業した際に小さな苗木を園芸屋さんから買いましたが
今ではしっかりと刈り込まないと
夏場はジャングルのようにワサワサ茂ってしまいます
とりあえず丈夫が取り柄の植物ですので
管理が苦手な私にぴったり。
伸びてきたらザクザクと刈り込むだけです。
そんな丈夫なアベリアでしたが、
2年ほど前からアブラムシが発生して
そのまま放置すると 見事なまでに枯れ木になってしまいます。
アブラムシ用の殺虫液を買って霧吹きで散布しましたが
しっかりと駆除する事が出来ずに
やはり何本かは枯れ木になってしまいました。
開業の頃から育ててきた木でしたので思い入れも強く、
枯らしてしまった事をとても悔やんでいましたが、
しばらくすると、アブラムシにやられて枯れ木になったはずの木から
小さな葉っぱが数枚芽吹いているじゃぁないですか!
新しい苗木に植え代えようか迷っていたところですが
「この子も生きようと必死になっているんだな…」
と思うと、見栄えの悪い枯れ木でも処分出来ずに
しばらく見守っていました
すると2年程かかって、枯れる前の、約5割程に回復してきました。
ホント強い奴です。来年にはもっと回復すると思います。
今年からは、既に実証済みの効果的な殺虫剤でアブラムシを駆除しています
患者さんに造園業の方がいらっしゃいますので
その方にアブラムシの効果的な駆除方法をうかがいました。
「キンチョールがいいよ」
へっ? きっ、キンチョールですと?
意外…プロは特別な薬液を使って駆除しているのかと思えば、
実際は普通の家庭用殺虫剤だったワケです。
何ともまぁ、思いもよらない所に答えはあるもので
事実は小説よりも奇なり といった感じです。
実際に使用した翌日にはアブラムシが
黒く変色して沢山の黒ゴマをまぶした様になってました。
今年からはアベリアを死守してやりたいですね
接骨院での治療が終わればチビチビと
院長です。
久しぶりに独り言を更新……まぁ いつも独り言なんですが
せっかく分けてるワケですから たまには更新です
先日、患者さんからお酒を頂きました
(Hさん と言っておきましょうか……)
「先生、ウイスキー飲むかい?」
僕は そんなに酒に強い方ではありません
少しだけ 嗜む程度にウイスキーは飲みます
香りが好きですが、強いのは苦手なので大体は水割りで……
そんなこんなで 問答しているうちに
Hさんが ウイスキーを僕に下さると言うんです
「あぁ、ありがとうございます」
「今、車につんであるから」
「えっ、いいんですか?」
「いいのいいの どうせワシは飲まんから」
?……なんで車に積んでいるんでしょうか 不思議です
しかも 自分は飲まないのに 何故? 謎は深まるばかり
Hさんは御自分の車に向かったかと思えば
高価そうな酒瓶をかかえています
「うゎ、高価そうなウイスキー ……」
「死んだワシの親父が好きでねぇ…」と遠い目をしておっしゃる
あぁ なるほど……
……………
…………………
………………………
……って遺品っすか? ……重っ!
「昔、親父はよく仲間と飲んでてねぇ」と目を細めて宙を眺めてます
その視線の先には 誰がいるんでしょう
僕が目で追っても 見えるはずもございません
そんなワケで 仕事終わりに酒瓶を恐る恐る開封
……大丈夫です 飲んだ途端に胸が苦しくなったりしてません
こんな酒の味もろくに分からないような僕に飲まれて
Hさんの父上は不本意に思われたかもしれません
Hさんご自身は「家で置いとくより 好きな人に飲んで貰った方がええわ」
と 言っておられました
物には作り手の精神が宿るなんて事をよく聞きます
僕が これを飲む資格があるか否かは別にして
やはり酒として生まれたからには 酒として飲まれる方が本望……なのかな?
少しずつは 減っていますが
大酒飲みではないので 相変わらず仕事終わりにチビチビやってます
思いのこもった大切な遺品、有難く頂戴致しております
sha-la-la-la
以前はまばらでしたが 最近はアイポッド持っている人が多いですね
コンピューター部門では低調でも モバイル端末では破竹の勢いです。
僕もアイポッドは持ってます
持っていましたと言うべきなのか……
つまり携帯するのが面倒で結局 孝弥にあげちゃいました
いや、我ながら何がしたいんでしょーか…ホント
で、最近は携帯電話に音楽を入れてイヤホンマイクで聴いてます
端末が変わる度にCDからパソコンに音楽を入れ直すのも面倒だとも思いながら
しぶしぶ 昔から集めていた沢山のCDから流行りものまでを厳選して
お気に入りのウォークマンに仕上げておりました。
何気なく手に取ったアルバムの一つ一つに思い出が…
な~んて湿っぽい感情に浸ってる場合じゃないですが
中学、高校とよく聴いていたカーペンターズを手に持った所で
何となく手が止まって
思わず 「おおお~っ」 と小さく歓声
後で気付く事になりましたが この「おおお~っ」 の意味
その時には自覚はありませんでしたが
一曲ずつ よく聴いてみると やはり様々な記憶とリンクしており
思い出の一部分として その楽曲が共存してるんですな…
うわぁ、思い出の一部分なんて 言葉使うと 何だか むずかゆくなってきます。
我ながら自分が気持ち悪い
多分 らくだ接骨院の患者さんが聞いても
虫唾が走る思いなんでしょう (スミマセン)
中学くらいの時なんぞは 歌詞に込められた意味も ろくに噛みしめようともぜずに
愚かにも英語で歌うことのみが「かっこいい」などと思っていたんですが
いやぁ、今となっては ただ恥ずかしいばかりで…
だからと言って その楽曲そのものの価値が否定されるワケでは決してなく、
名曲「イェスタデイ ワンスモア」の一節
Evry sha-la-la-la Evry wo-o-wo-o
(エブリ シャラララ エブリ ウォウォウォ) なんぞは
昔のように「テキトーな歌詞だなぁ」とは思わず、
伝えたい気持ちが歌詞を乗り越えて具現化されたものにさえ思えてきます
(実際はラジオから流れる曲の一節を表すフレーズ)
カレン・カーペンター自身がどういう気持ちで歌っていたのかは分かりませんが…
僕にとってはいまだに新鮮で いい曲です
高校とかでは「ハードロック」を聴いている友人に
「自分はカーペンターズを…」 なんて恥ずかしくて言えなかったんですが
今となっては そんな下らない見栄も どこか虚しくて馬鹿馬鹿しいです
30歳過ぎてからは 何故か昔を恥ずかしく思う事が多くなりました。
年配の人からすると それすら滑稽に思えるでしょうね
今回の写真は21年末(12月)の「らくだ忘年会」での写真です
うちのスタッフには時々自分でも理不尽な事を言っているなぁ
と反省していますが、みんなよくやってくれてます
今年もがんばりましょう
うまい棒
先月、僕の兄が接骨院に来た時の話です。
当然僕は患者さんの治療をしていたんですが、
僕を見据えてツカツカと寄って来る兄を見て
「え、なに?」といった感じで治療の手が数秒とまっていた所へ
おもむろにバッグの中から「うまい棒30本バラエティーパック」を出し、
「誕生日おめでとう」
……!! そうでした。今日は僕、誕生日でしたっけ。
それにしてもプレゼントが「うまい棒」……
「これが30歳過ぎた男に対して贈るプレゼントか? 馬鹿にするな!」
と言って プレゼントを強く床に叩きつけた
というのは真っ赤なウソで これが不覚にも非常に嬉しくて
男32歳、「うまい棒」を抱えて幸せいっぱいの見苦しくも情けない笑顔をさらし、
待合室で待っていた数人の患者さんの視線に気づいて赤面いたしました。
今更祝うような歳でもありませんが、人に祝ってもらえるってのは有難いものです。
自分だけ無意味に歳だけを重ねているように思えても
子供は思いのほか早く成長するし、知らない間に両親は驚く程老け込んでいる。
自分の過去と未来をそれぞれに重ねて感傷に浸る程感慨深い訳ではありませんが、
今の自分でしか出来ない事を、確実に今やっておかねばならんよなぁーと思い、
しみじみと多彩な色と味のうまい棒を噛みしめておりました。
それにしても「サラダ味」ってなんなんでしょうか? (うまい棒サラダ味)
名付け親は 毎日こんな不自然な味のサラダを食べていたんでしょうかね?
味付けに対するネーミングが投げやりです。まぁ、美味しいから許します。
さて、今回の写真は夏の終わりにスタッフと行った海水浴でのバーベキューです。
3人ともモリを持って魚を突いた後ですが、僕は疲れてグロッキー
孝弥だけ一日中ハイテンションといった具合に対照的な様子がよく表れている絵になりました。
アトミックハート
先日ミスチルのアルバム「アトミックハート」を買いました。
分からない人も多いかと思いますが10年以上前に発売されたものです。
今更? そんな感じですが僕はこのアルバムの流れが好きでして、
最近ではベストアルバムとかも発売されているんですが、こちらにしました。
確かにベストアルバムの方が良い曲が沢山あって良いんですが、
既に発売されているアルバムにある筈の曲が何の脈絡も無しにポンと出てくると、
どうしても聴いていてアレ?って思ってしまいます。
(脈絡ってのもおかしな考え方です。確かに曲ってのは、それ1つで完結しているものなんでしょうが、アルバムの序盤は盛り上がって、中盤は落ち着いたバラードで、最後は…といった楽しみ方も正当じゃないかとも思います)
その上、特に2枚組みとかのベストとかで多いんですが、
曲数が多すぎてアルバムとしてのイメージが散漫になる気がします。
あくまでアルバムという曲の集合体を1つの完成品として捉えると違和感アリアリな訳です。
ひねくれたスタイルで音楽を聴いている訳じゃなくて、気が付くとそうなってるんです。
中学生が自分なりのベストアルバムを編集する時に曲順をあれこれ悩むのは同じような理由からじゃないでしょうか。
話がダラダラと長くなりましたが、そういった点でこの「アトミックハート」はイケてます。
車で聴いている時なんぞは、ついつい歌ってしまいました。
酸っぱい顔してキンキンの声で…
対向車から見ればさぞアホに見えたでしょうに。
さて、今回は 少し前の話になるんですが 健先生と一緒に釣りに行った時の写真です。
(健先生が特大の鯉を釣り上げた場面です)
真昼間に男3人が社会貢献する訳でもなく ドブ川で鯉を釣って騒いでいましたから
さぞ残念な人達に思われていたでしょうに……
さくらさくら
どうも、院長です。最近、妙に春が待ち遠しく思えるのは環境に適応する能力が年々薄れてきているからなんでしょうか…(我ながら変な冒頭です。最近衰えの報告ばかりしているような気がします…)。
テレビでは桜の開花予想がどうだとか、まだ枝ばかりの木に数個だけ早咲きした桜の花を指さしてキャスターが騒いでたり…。ニュース番組で社会問題もそこそ こに、ひとつの花でこれだけ大騒ぎする民族もなかなかいないでしょうに。なんだかんだ言って、やはり日本は平和みたいです。少なくともガザのように空爆に 曝されている訳でもありませんしね…。
でも僕自身桜の花は好きです。多分日本人は桜そのものよりも桜のある風景が好きなんじゃないかと思います…。週末にカメラを持って出かける写真好きなお父様方は桜そのものよりも、桜の溶け込んだ風景を残しておきたいのではないかと…。
僕は息子が生まれた年から続けている事があります。毎年桜の季節になると並木の下で息子と家内を写真に収める…といった何の変哲も無いような事なんです が、息子の成長過程や家内の年々増えるシワの数をフレームに収める事で、「これは何月何日の写真だよ」という説明よりも確実に説得力やインパクトのある風 景が撮れる気がするからです。
同じ風景や思い出を共有した証拠…なぁーんて言い方すると何だか暑苦しくなってきます。そんな鳥肌の立つような話ではなくて、単に僕の道楽の一つとして今後も家族には付き合ってもらう事になるかと思います。
今回の写真は風景と言うには程遠い…というか桜そのものなんですが、色彩とその対比が綺麗なので載せてみました。去年の写真ですが、タイミングのいい時に花見が出来たと思います。桜の花の柔らかみのある空間的な広がりもいー感じです。(*´∇`*)
Run out
先日、昼休み銀行に行こうと久しぶりにチャリに乗りました。
昔と比べるとわざわざチャリンコなんぞに乗って行くような理由もないんですがね…偶然うちのスタッフの車が僕の車が出にくくなるような場所に駐車しておりまして、「こりゃ 車以外で行け」って事だろう…と自然な流れでチャリンコに。
ヨロヨロしてます…ちょっとした段差でもコケそうにもなります。こんな所でコケたらかっこ悪いし、誰か患者さんに見られるだろうなぁ…
しばらく走って近所でも比較的急な上り坂に差し掛かると、同じ方向にチャリを走らせるおばちゃんに追いつきます。道幅も大して広くはない上に車の通りが激 しく危険な道なので、おばちゃんを追い越して先に……と思ったらおばちゃん「立ちこぎ」を開始。にわかにスピードアップして 追い越そうとしていた僕とま さかの並走。 Σ(゚д゚;)
この状況…なんか嫌だ。「この人、私と同じスピードで走って…痴漢?ひったくり?」なんて思われるのも嫌です。かと言って自分が速度を落としてタラタラと金魚のフンのように彼女の後をついて坂を上るのも御免です。
「追い抜かなければ! それも自分が必死に立ちこぎをして抜くのでは大人気がない。自分はサドルに座ったまま余裕の顔つきで追い抜いて格の違いを見せつけながら勝たなければならない!」
両足の筋肉がプルプルするのを必死でこらえながら このデッドヒートを制し、安っぽい自尊心を守った代償は翌朝からの筋肉痛でした。 ε=ε=(;´Д`)
今回の写真はこの前釣ったマスです。初めて刺身にしてみました。川魚独特の小骨は残りましたが、味は真鯛に近いように思いました。「おほっ、うまっ…」 (*゚▽゚*)